丹後を訪れていたのは真言宗の僧侶だけではありません。天台宗と丹後との関わりを示す逸話も残されています。
天台宗とは延暦25年(806)に最澄が開いた仏教の宗派です。真言宗と並ぶ密教の教えで、台密と呼ばれ比叡山を本拠としています。
1000年ごろ天台宗の僧侶も丹後地方で重要な活動を行なっていました。それは『往生要集』を記した、源信(恵心僧都)(天慶5年〈942〉−寛仁元年〈1017〉)とかかわりがあります。
源信の弟子で寛印(生年不詳−長和3年〈1014〉?)という僧が丹後地方にいました。徳の高い僧で、敬意をこめて丹後先徳とのちに呼ばれるようになります。鎌倉時代後期に天台宗の僧、心慶が書写した『宗要集』や室町時代の天台僧、尊舜が著した『摩訶止観見聞添註』巻3などに記録が残されています。(1)
さらに、平安時代後期の公卿、大江匡房(長久2年〈1041〉−天永2年〈1111〉)が撰した『続本朝往生伝』(長治〜嘉永年間〈1104−1107〉に成立とされる)にも、寛印の事績が記されています。それによると寛印は延暦寺で修行し源信の教えを受けました。その後、源信にしたがい福井県敦賀に赴き、宋の商人朱仁聡と会い(995年ごろとの説)(2)、その学識の高さを認められました。
その後、諸国を遍歴したのち、丹後国に至り僧房に落ち着きます。毎晩、法華経を誦(そらん)じ、高齢になってもその習慣をやめることはありませんでした。そして亡くなる際にも心身が乱れず、手には香炉を下げ、念仏をとなえながら西を向いてそのまま息絶えたと伝えられています。(3)
参考文献
(1) 高橋秀榮「丹後先徳寛印と迎講」駒澤大学仏教学部論集第34号、2003年(平成15年10月)p. 115
(2) 高橋、前掲論文、p. 119
(3) 高橋、前掲論文、pp. 117-118
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