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咲鬼庵(しょうきあん)−鬼は笑う−

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伝承上の人物

加佐郡大江町に伝わる3つの鬼退治伝説ですが、鬼を退治した日子坐王と麻呂子親王は『古事記』や『日本書紀』に登場します。しかし、2人ともそのほかの歴史資料でその存在を確認することはできません。つまり、伝承上の人物であり、実在したかどうか確証がないのです。


しかも麻呂子親王は別名が當麻王であるうえ、「麻呂子親王の鬼退治2」でも触れたように、麻呂子は王子さす一般的な呼び名であり、何人もの麻呂子王子や親王が存在しました。そして、大江町で鬼退治をした麻呂子親王は、金麿親王、金丸親王、金屋皇子、卒未呂王など多くの別名を持っています。


大江町では、麻呂子親王は清園寺の縁起に登場し、元伊勢と呼ばれる神社にお手植えの杉を残しています。丹後や丹波地方の中世の人たちにとって、麻呂子という名前は聖徳太子の弟であり武勇の人として、地域を権威づけ、自尊心をくすぐるうってつけのヒーロー的存在だったのでしょう。

それゆえ、七つの薬師如来像を祀る七つの寺、そしてその周辺に存在した神社などそれぞれにとって、理想としての麻呂子親王伝承が語られたと考えられます。


これは、聖徳太子が十七条の憲法や冠位十二階を定め、仏教を庇護したことなどを含む、その事績は後世における創作であるという説と、構造として似ています。むしろ、聖徳太子信仰を参考に麻呂子親王信仰を創り出したといってもよいのではないでしょうか。


参考文献

大山 誠一「「聖徳太子」研究の再検討(上)」

弘前大学國史研究 (100), 4-21, 1996-03-30


大山 誠一「「聖徳太子」研究の再検討(下)」

弘前大学國史研究 (101), 32-72, 1996-10-30


by showkian | 2020-06-06 10:33 | 伝承 | Trackback | Comments(0)